#8 白亜の夕暮 黒木りえさん

 携帯電話からだと、ひと画面め(すごい日本語)にオチが出てこないわけです。
 ああ、とぽんと手を打って、これはわたしは楽しんだわ、と思いました。

 パソコンから眺めなおしてみて、考えたことを。
 一文目には全く感情が入っておらず、二文目から、「考えないようにして歩く」に至ってだんだんと語り手の主観が入り始め、「するもんじゃない」で語り手のスタンスがはっきりと決まっている。
 これはオチものに必要なものなのかも、と思いました。
 読み手をエスカレーターに乗せたようにオチまで運んで行くのには、文章が定めて表す言葉のただの意味だけではなくて、言葉が持っている感情の強さをうまく並べることがポイントになりえるかもしれない。
 丘状にするのか、崖状にするのか、上り坂下り坂。

 白亜紀って恐竜の時代ですか。
 上の参照リンクによると、気温が高く植物は鬱蒼と生い茂っていたようです。
 恐竜以前に、虫とか怖そう。暑くても早く身に纏うものを探して欲しい。今にもきっと大小さまざまな六本足が音もなく寄ってきてですね…うぎゃあ
 恐竜とか肉かじるとかよりそっちのが怖いよ。すぐさま熱出して全身ブクブクに腫れてさ…
 …言うまでもなく、これも「楽しんだ」の一環なのです。

 

#9 氷を渡る でんでんさん

 票を集めている作品だからと感想を書くってのも難なんですが、折角の機会なので。

 こわいです。私はこれ。読み手の入る隙が一瞬もないように見える。
 完成度が高いということになるでしょうが、密度が高くて息が出来ません。
 小説を読み終えたとき、自分が静かに息をしているのに気付くと思うんですけど、それができない。息を詰めたままで苦しい。
 うまく酸素が入ってこないので、もう一度読み返そうと思うときに初めから身構えてしまう。正直終わるのを待ってしまうし、理解のための力が引き出されることがないと思う。

 冒頭の一文を読んで、読み手が「きみ」として氷の上を歩き始めることが求められているのかと私は読みました。
 なので、二文目からしばらく「きみ」が置き去られてしまったことで、はっきりと小説に入りにくくなったと感じました。
 状況が先に説明されているので、「きみ」が「無口で地味な女の子」だと知るのに時間がかかる。急には感情移入しにくいキャラクターだと思う。と言ってそこから急に、三人称として考えるのも難しいと思います。そこらへんで、はたと戸惑う。
 話はぱしりと終わるので、その時点で緊張感や、文章から伝わる漠然としたおそろしい感覚が残り、文章に書かれた話の筋や情報としての内容は断片のかたち、要素にのみなって残っている気がする。
 ええと…結局、「きみ」と読み手は別、と読むのが意図された読み方なのでしょうか。

 落ち着いて読むと、話の流れがぱっきりとしていて、うまく組み立て、構成されていると思います。
 感情もおそらく、込めようと思う感情をある程度の密度をもってただしく詰めているので、これほど的確にこわい気持ちがするのだと思う。
 感情には波があるといいと思います。「僕」がきみに向かって叫ぶところなどがもしかしたら感情をつつく箇所なのかもしれませんが、私の受けた印象はすべて、こわいの範囲の中の移動でした。

 「憎しみについて」が好きだったのですが(投票してます)、「氷を渡る」を好きということは私は出来ないと思います。

 

#12 ありくいさん 巻さん

 ありくいさんのキャラクターがとてもよいです。
 それとありの小さな声が。ちいさなもののちいさななにかをぽんとそこに残して、それ以外を残さず、どこかへ行ってしまうのがいい。

 「生垣には」の段落から、創作ごとがどうやらどばどばと沸いてくるかたなのかしらという印象を受けました。
 「心がカサカサ…」となる意味は全くないように見えて、この段落だけが少し異色な感覚を持たせていると思います。
 短編に彩色をしているのがこの部分だけのようで、ほかはベージュの生成りの地色で統一されている感じです。

 「私は残った」の段落に、落ちというか〆の部分が割り当てられているのでしょうが、これは少し色が薄いと思う。
 ベージュに立ち返るとしても、なにかまだ来そうな、というかそうでなければいけなさそうな感覚があって、今回の場合よい方向に行っているとは私は考えません。
 サイトのほう拝見していろいろ読ませていただいたんですけども、盛り立てる言葉がとてもぼんぼんふくらむ一方で、それをうまい具合に収納したり、絡げる部分には改善の余地があるのではないかしらと思っています。

 というわけで、以下を2段落以上の部分に関しての話に代えますが、うまく読み手の何かをふくらます力がありそうです。
 その、肺ですとか肺胞だとか、そういうイメージです。
 これがあると、豊富な酸素で運動できたりするんでしょう。酸欠な小説って多いですね。

 

#17  戦場ガ原蛇足ノ助さん

 振ったら飛び出す。そうだ、振ったら飛び出す。

 ということで早速ですが、表現については上記のありくいさんのようなふくらみは感じず、あまり色気も出さずに、その表現する意味や状態をひとつに決めることが出来る言葉で作られていると感じました。
 感情を言葉の持つ付随的な印象に任せるのではなく、「まずいこと」はまずい、「負けじと素早く周囲を窺う」など。
 おかげで、経過した秒数のくだりはやや留まりすぎの印象も受けました。
 経過時間を考えずに順序を守って並べたら渋滞した、というような。

 加えて、炭酸水が目の前で噴いているとき、頭が真っ白になりこそすれ、「水を飲みたい」はどうよ、という感じもあり。
 詰まらない話ですが、人間があわてているとき、水が欲しくなるようには人間はできてなかったと思う。
 いやーあんときゃあわてたわ、と思うとき、水が欲しくなるのじゃないかなあ。

 この作品の中でかぎ括弧に括られているのは「どうも」だけですが、これがもし存在せず、「どうも、と礼を言ってみると…」だったら間延びして平坦だったと思います。
 考えた結果でも、考えずできたことでもいいんですが、この括弧に括った表現のほうを選べるのは実力のある方だからということなのかしら、などと、過去の優勝経験に踊らされた発言をしてみたり。

 ところで「話が上手く落ちないので」ですが、…これってこうしたら落ちてるんでしょうか?
 読み手を巻き込むことでとりあえず話が落ちる、ってのはありえるのか。どうか…
 寧ろこの「小さな不安」が、戦場ガ原さんの作品に共通して見られる落ちであるように思っているのですけど。
 それを際立たせるための「落ちないので」だったと言われれば納得してしまいそうですが。

 突っ込み入れてばかりですが、今期の初読では、これを推したいと思いました。
 予選「なし」票に「それだけは強烈に覚えているような力強いワンフレーズ」というのがありますが、今期の中ではこの「泡」の「振ったら飛び出す、」が実にこれに該当するのではないかと思います。

 決勝で記名投票しました。ので参照リンク

 

#18 hallelujah 川野直己さん

 まったくにやにやする文章を書かれます。

 毎回感想を書いている作者さんの一人であるので総論が増しますが、今期の作品で感じたのは、今回読み手の常識を求められていないなということです。
 これまでは作品のこっち側の人間が読むのを想定した文章が多かったように思います。
 読み手が読み手の価値観を以て読む、という感覚があったのですが、
 この作品では全く登場人物のペースで読みすすむことになり、しかも流れてきた頃、あからさまにひどいギャグで話が「くん」と纏められてしまう。
 どうも基点の違いのようなものが感じられました。引き込むってのはこのへんに要素があるのかも。

 で、ひどいギャグと言ってしまいましたが。いやひどいんですが(そこはフォローなしで・笑)
 これがこの作品に出てくる独特の会話文に雰囲気を合わせさせているように思いました。
 同僚の台詞を、ああ言わせてかつ浮かせずに書くというのは、それ用の感覚が備わっていないと出来ないとも思います。
 女の子の会話文におよそ異色な「どうして曇らせるのか」という台詞も気になるけど、彼らにとっては普通なんでしょう。
 そういうところがいい。という話です。全て登場人物たちの事情であるあたりが。

 にやにやする、というのが、作品の持つ雰囲気を受け取って生まれる感情をあらわすことばとして、ほほえましかったり楽しげな方向の、私の中でほぼ最高の形容なわけですが、(園芸論然り
 この感覚はそれなりに形式を狙ってつくられた文章に感じやすいです。

 

#23 狂乱 久遠さん

 初読にて思ったのが、前提以外の広がりがないということで、
 始めに書いてしまえば、これも優勝するだけの勢い、気迫はないと思います。

 文章そのものは、ケーキにクリームを塗るような感覚で全体に均一に気持ちを載せていて、一つの雰囲気をその全体で作り上げており、風景をぼんやりながめるようにうつくしいと感じました。
 「狂乱」というタイトルが恐らく狙い通りに香辛料のような役割を果たしていて、やわらかく甘いものに辛味を添えている、この感覚自体はとてもいいんじゃないかと思いました。この感覚を狙うのもとてもいいと思う。
 37字の小説が、それで完結するためにできることをしているきちんとした作品だと思う。
 そういう存在を目で見て納得できた気分。

 なんですが。それ自体の先を思わせ、37字である意味を強烈に感じられる気配はないと思います。
 短編掲示板の小説−詩の議論で黒木さんが引用されていた「恐竜」は、ぱっきりとそれ自体が輪郭を持った陶器の小片であり、残りの壺の形がどうだったのか、というのを思わせるような作品だと感じました。
 37字が、豊富で、決して素っ気無くない内容の文章であるのに、「狂乱」に定まった印象はなく、かと言って読み手に想像を広げさせる気概がないように感じるので、広がらず、広がるかといえば広がらないそのやわらかい輪郭を手のひらに載せて眺めてしまうという感じ。
 メリハリのようなものなのかな。具体性のつかいどころというか…

 この甘さと小さな辛さのきいた小説で、この感覚を持ったある程度の描写を含んだ長いものがもしあれば、是非読んでみたい気もします。
 超短編であることを否定しているわけではなく、超短編であるためにその技巧が気になってしまう、というのが悪いばかりではなくて、今回の場合、足りていないと感じた要素がもしあればとてもよいと感じていたかもしれない、という方向の感覚を受けてます。

 

#25 ワイヤー るるるぶ☆どっぐちゃん

 るるるぶさん独特の節のきいた、と言う意味では例に漏れない作品なのですが、私がこの作品をよいと思ってとりあげているのは、やはりこの文章の中に感情や感覚がたっぷりと注がれて揺れているのを感じるからです。「春風、それも歌か」について同じ主旨の感想を述べました。
 繋がったもの、繋がらないもの、途切れたもの、というのを、それぞれ要素としてうまく繋げているように感じます。
 文章の示す意味ばかりではない領野に訴える文章を読むと、私の場合はそれ用の脳が動き出すようになり、対個人(の思想)の目線が混じったりします。
 恐らくそういう奴と距離を置くために、殆どおもてに出てこないというスタンスを守られているのではないかと思う。いえ、それはいいんだけど。
 そのために、易しい言葉を使われているときというか、ちょうど今回のように「なんだか会話が成り立っちゃってる?」と感じるような文章を拝めたとき、その向こうの重さのようなものに相対せるような気がしています。
 毎回待ってるんだと思う。数度に一回拝めるような、妙ちきりんな境地。

 世界は十分に美しいと思うけれども、そう思う私やそう思わない人の居る世界を示すために正しいのは、美しくないなのかもしれない。
 ただ美しいと思う人は恐らく、美しくないことが美しいと思うので、思考は平行線上をゆく。
 盲目は楽で、それは分野によってどちらか気づけていない私はそう思えるという話だけど、盲目でない人は盲目になりたがるそぶりだけで、本当は盲目になんかなりたいとは思ってないってのは多分真実だ。