#24 春風、それも歌か (短編20期 / 過去作品を読む)
これがさ、もうはなからしまいまでギュウギュウ心臓を掴むので、
どうしようかと思って、ここにこんな文書いちゃうことにしたんですけど。
赤が死ぬほど美しい。それが『悲しい』。
というように、勝手に頭の中をざらっと一混ぜされた感じ。
まったくどうしたことなんでしょうか。
いろんな期の感想で、るるるぶさんに対して「どうしてこんな文が書けるのか」ってのが
書かれてますけど、これに関しては同じ言葉を口走りたいです。
あまり「どうして?」とは思ってないんだけど。
すごいから、なんとなくいんねんつけたいわけですよ。
いんねんついでに言うけれど、花を抱えてをすごいとは私あまり思わなくて、
それってなんとなく、氷よりも水のほうがすてきと私は思うのと、似ていると思う。
このかたの作品はまだ全部読んでいません。「ソング」はとても好き。
これも花と抱えてと同じように、まとまったほうの作品だと思うんだけども、
この匂うような文章のオーラっていうかなあ、それが甘い(砂糖のね)んだよね。
糖の焦げた匂いがする。それがすてきだと思うのです。
#28 愛を。自由を。 (短編24期)
「愛」はまったくどうもすいません、言語も泉の所在もちがう、とっかかりがなかった。
ただ、「自由」箇所なのかなとおもわれる、黄色のアイシャドウの2009は、うつくしいと思いました。
「あたしこれで良い」「うん。大丈夫」が好きなんです。自由の本質っていうか。
#25 ワイヤー (短編26期)
るるるぶさん独特の節のきいた、と言う意味では例に漏れない作品なのですが、私がこの作品をよいと思ってとりあげているのは、やはりこの文章の中に感情や感覚がたっぷりと注がれて揺れているのを感じるからです。「春風、それも歌か」について同じ主旨の感想を述べました。
繋がったもの、繋がらないもの、途切れたもの、というのを、それぞれ要素としてうまく繋げているように感じます。
文章の示す意味ばかりではない領野に訴える文章を読むと、私の場合はそれ用の脳が動き出すようになり、対個人(の思想)の目線が混じったりします。
恐らくそういう奴と距離を置くために、殆どおもてに出てこないというスタンスを守られているのではないかと思う。いえ、それはいいんだけど。
そのために、易しい言葉を使われているときというか、ちょうど今回のように「なんだか会話が成り立っちゃってる?」と感じるような文章を拝めたとき、その向こうの重さのようなものに相対せるような気がしています。
毎回待ってるんだと思う。数度に一回拝めるような、妙ちきりんな境地。
世界は十分に美しいと思うけれども、そう思う私やそう思わない人の居る世界を示すために正しいのは、美しくないなのかもしれない。
ただ美しいと思う人は恐らく、美しくないことが美しいと思うので、思考は平行線上をゆく。
盲目は楽で、それは分野によってどちらか気づけていない私はそう思えるという話だけど、盲目でない人は盲目になりたがるそぶりだけで、本当は盲目になんかなりたいとは思ってないってのは多分真実だ。